トルコとの歴史、地元での日本人ビジネスマンの印象
正月早々に、またテロのニュースがトルコから入ってきた。
1990年代、頻繁にトルコを旅行した。イスタンブール、パムッカレ、イズミール、アンカラ、カッパドキアなど。
総じて親日的な国だった。明治時代にオスマン帝国から派遣された「エルツール号」の遭難者を和歌山の沖合で救助した話が有名だ。
トプカプ宮殿には金銀財宝が山ほど陳列されているが、日本から授与されたという勲章(見るからにお粗末)が置いてあったのも記憶している。
救国の英雄「ケマル・アタチュルク」が西洋化による国造りを推進したが、何となく日本の明治維新と似ている。
・・・、NHKのプロジェクトXで再認識されたが、約8年間に及ぶイラン・イラク戦争の際に、日本人居留民を救助するため、わざわざトルコが救援機を派遣してくれたのは有名な話だ。・・・、但し、その後も、日本では風俗店を「トルコ風呂」と言っていた。トルコからの抗議によって、この名称は「ソープランド」に変更された。
・・・、日本人は(他の国民もそうかもしれないが)自分たちに都合の良い情報だけ伝えようとするように思える。
・・・、因みに江戸末期にイギリスやアメリカなどと結ばれた不平等条約に日本は苦しめられたが(外国人は日本の法律では裁けない治外法権や関税自主権がないなど)、同じような不平等条約を日本がトルコにおしつけようとし、外交樹立が遅延したという話は余り知られてていない。
治外法権については、沖縄での米軍人犯罪に日本の法律が及ばない「日米地位協定」をもっとひどいものにして条約と考えればいい。
・・・、若干の例外はあるが、商社マンもトルコ語を勉強しようとせず、外務省の外交官は勿論、皆「日本の方」ばかり見て毎日を過ごしていた、印象が強く残っている。・・・、皆さん早く帰国したくて仕方がないようだった。
朝鮮戦争の際トルコは兵隊を派遣し、日本にもいた関係でトルコの軍人と日本人女性
の国際結婚も多かったようだ。
・・・、この国に平和が戻ることを祈念したい。